それぞれの15周年
9月3日早朝、一つの大きなニュースが飛び込んできた。
タッキー&翼が活動を休止する。
今年でデビュー15周年。先日のFNSうたの夏まつりで15周年を祝われ、MUSIC STATIONウルトラFESの出演も発表され、これからお祝いムードまっしぐらだと思っていた。しかし現実は違った。
15周年なのにどうして?と思った方も多いだろうが、私は15周年という節目だからこそこのような決断に至ったのではないかと考える。
タキツバがこのタイミングで発表したってことは15周年で色々企画が持ち上がって活動の話する流れでこういう話になったってことだろうしアニバーサリーに重なるのは仕方なかったんだろうな
— Johnny's labo (@Johnnys_labo) 2017年9月3日
アニバーサリーイヤーだからこそ事務所もレコード会社もこのビジネスチャンスを逃すわけにはいかない。だからこそ今まで通りの「開店休業状態」ではいけなくなったのだ。
しかし、ここで思い出すのが3年前、嵐が15周年を迎えたタイミングでの櫻井翔の発言である。
彼は、15周年は別に特別ではないと考え、嵐もベストアルバムを出したりするのではなくて例年通りオリジナルアルバムをリリースしてそれを引っ提げてツアーを行った。
「形に残すことを選ばなかった」のだ。
その言葉の裏には、嵐の5年前にデビューしたTOKIOや5年後にデビューした関ジャニ∞らへの配慮があったのだろう。10周年の時には盛大にお祝いしてもらった分、アニバーサリーイヤーが必ず重なってしまうことが頭にあったと思う(((更にジャニーズWESTも重なることになった)))。
ではここで、他のグループがどのような15周年イヤーを過ごしたのかを見ていこうと思う。
近藤真彦~1995年~
レーサーとしても活動していたこの年はシングル「最後のラヴ・ソング」をリリースしたのみであった。
Johnny's netのBiographyにも1995年の項目は無い。
なお、大ヒット曲「ミッドナイト・シャッフル」をリリースするのは年が明けて1996年の2月であった。
少年隊~2000年~
マッチのちょうど5年後の同じ日にデビューした少年隊は当然マッチとアニバーサリーが重なる。
2000年にはシングル「ロマンチックタイム」をリリースしたほか、もちろんPLAYZONEも上演。また、1999年に放送を開始した少年隊夢もタイトルを変えつつ放送された。
SMAP~2006年~
2006年は大ヒットシングル「Dear WOMAN」「ありがとう」に加えアルバム「Pop Uo! SMAP」をリリース。自身2度目となる国立競技場ライブも行った。
TOKIO~2009年~
前年にレコード会社をJ Stormへと移籍したTOKIOは40枚目のシングル「太陽と砂漠のバラ/スベキコト」をリリース。「スベキコト」は城島と太一の合作である。
この年は唯一メンバー全員が30代の年(11月で最年少長瀬が31歳、最年長城島が39歳)であり、それにちなんだ東名阪ツアー『OVER 30's WORLD』も行われた。
V6~2010年~
10年間続いた人気番組『VivaVivaV6』が終了したこの年はシングル「only dreaming/Catch」をリリースしたほか、アルバム「READY?」をリリースし、前年に韓国・台湾で行ったコンサートを日本に持ち帰りツアーを行った。
KinKi Kids~2012年~
この年はシングル「変わった形の石」をリリースし、年末年始恒例のカウントダウンコンサートを行ったほかは各自ソロでツアーを開催した。
嵐~2014年~
シングル「Bittersweet」「GUTS!」「誰も知らない」とアルバム「THE DIGITALIAN」をリリースし、「GUTS!」でシングル総売上2000万枚を達成。またハワイ州からの招聘を受け、結成の地ハワイで『ARASHI BLAST in Hawaii』を開催。毎年恒例のワクワク学校と5大ドームツアーも開催し、紅白歌合戦では前人未到の5年連続司会に加えて初の白組トリを飾った。
以上を踏まえると、15周年というのはたしかに大きな節目で盛大に祝うものではないのかもしれない。嵐に関しては"まわりから祝ってもらった"15周年ではあったものの、自分たちからは毎年の活動を発信し続けたことに変わりはない。SMAPもTOKIOもV6もキンキも20周年が非常に豪華なものになったので、嵐やタキツバの20周年を楽しみに待つことが良いのではないか。タッキー&翼が20周年の節目を2人そろって迎えられるように、しばしの活動休止も受け入れるしかない。